目次
国内外で有名なドラマーが多い日本
日本にも、国内外で活躍している有名なドラマーが数多く存在します。
ここではまず、その世界的にも有名な日本のドラマーの名前を一気にご紹介したいと思います。
伝説的なドラマーから新鋭のドラマーまで、幅広くご紹介しているので、ぜひご覧ください。
世界的にも有名な日本のドラマーたち
※これからご紹介する「世界的にも有名な日本のドラマーたち」は、分かりやすいように五十音で名前を掲載しています。
淳史(SIAM SHADE)
LUNA SEAの真矢を師に仰ぐ、「SIAM SHADE」の淳史。
現在は「Acid Black Cherry」としても活躍しており、若い世代を中心に人気の高いドラマーです。
オカモトレイジ(OKAMOTO’S)
若者から絶大な支持を獲得しているバンド「OKAMOTO’S」のドラム担当オカモトレイジ。
メンバーの一人が、ダウンタウン浜田雅功の息子だということで話題に上がるバンドですが、その実力は本物。オカモトレイジのクールな演奏姿に憧れてドラムをはじめる若者も多いようです。
菊池 哲(D’ERLANGER)
1983年に、ビジュアルバンドの先駆けと言われ、その後多くのアーティストに影響を与えたとされる、「D’ERLANGER(デランジェ)」のドラマー。メンバーにはこの後も行動を共にするギタリスト「瀧川一郎」がいることでも有名。その後、デビュー後に1回のみのライブを武道館で行って即解散した、ある意味伝説のバンド「BODY」を経て、「CRAZE」に所属。2007年には元の「D’ERLANGER(デランジェ)」を再結成した。
GODRi(SiM)
レゲエパンクバンドの「SiM」のドラムを担当しているGODRi。
SiMは個性的なライブパフォーマンスで一躍注目されたレゲエバンドですが、その中でもとくにGODRiのパフォーマンスは圧巻。ドラマーを目指す人は一見の価値ありです。
澤村小夜子(ねごと)
メンバー全員が平成生まれの、若手ガールズバンド「ねごと」のドラムを担当している澤村小夜子。
良い意味で若手ガールズバンドのドラマーらしからぬ、パワフルな演奏で若い女性を中心に人気のドラマーです。
シシド・カフカ
1人でドラムを叩き、さらに歌まで歌うCMで一躍有名となったシシド・カフカ。
現在ではNHKの朝ドラに出演するなど、女優としても大活躍しています。
神保 彰
日本のみならず、海外でも有名なドラマー。
その巧みなドラムテクニックで”千手観音”と呼ばれています。
真矢(LUNA SEA)
近年ではバラエティの印象が強い真矢ですが、伝説のロックバンド「LUNA SEA」のドラム担当。
“空中で回るドラムセットを叩く”というド派手なライブパフォーマンスで観客を魅了。
ソゴウダイスケ(キュウソネコカミ)
若者から絶大な支持を得るバンド「キュウソネコカミ」のドラムを担当するソゴウダイスケ。
彼の才能あふれるドラム演奏は、若手バンドの中でも随一だと評判を呼んでいます。
高橋まこと(BOOWY)
日本に空前のバンドブームを巻き起こした、伝説のバンド「BOWY」のドラマーだった高橋まこと。
そのクールな演奏姿で、当時の若者に多大なる影響を与えたドラマーです。
高橋 幸宏(YMO)
YMOのドラム担当でありながら、作家業やデザインの仕事もこなすマルチクリエイター。
現在は「METAFIVE」というユニットを組んで、音楽活動を続けています。
ナヲ(マキシマム ザ ホルモン)
全てにおいて個性的で、唯一無二の存在の「マキシマム ザ ホルモン」。
その個性的な面がクローズアップされがちですが、ナヲのドラムの腕は一流。ボーカルも担っているため、激しい演奏中に歌う姿は圧巻です。
樋口 宗孝(LOUDNESS)
国内外に大きな影響を及ぼしたロックバンド「LOUDNESS」のドラムを担当する樋口宗孝。
彼はシングルバスにこだわり続け、シングルバスとフロアタムの使い分けで無限の音を奏でるドラマーです。
茂木欣一(東京スカパラダイスオーケストラ)
2001年から東京スカパラダイスオーケストラに加入した、ドラム担当の茂木欣一。
軽快なサウンドから重厚なサウンドまで、巧みに叩き分けることが出来ます。
山口智史(RADWIMPS)
ミクスチャーロックバンドの「RADWIMPS」でドラムを担当している山口智史。
近年、若者からの支持を最も集めていると言われているRADWIMPSですが、その魅力に加担しているのが山口智史のドラムテクニックです。
YOSHIKI(X JAPAN)
ドラマー界のレジェンドであり、また日本の音楽界のトップに君臨するYOSHIKI。
彼の才能はドラムだけにとどまらず、作曲家としても世界的に有名です。
日本の有名なドラマーとその功績
上記で紹介した通り、日本には有名なドラマーが数多く存在しています。
その中でも、功績を遺し”伝説”と称されるドラマーが3名います。ここでは、そんな彼らの詳しいプロフィールと遺した功績について解説していきたいと思います。
日本の有名なドラマー【その1.神保彰】
日本の音楽業界において”伝説”と称される有名ドラマー1人目は、神保彰です。
1959年2月27日生まれの神保彰は、現在60歳。
慶応大学在学中の1980年に、バンド「カシオペア」にドラムとして加入。プロデビューを果たします。
彼のドラムの才能はプロデビューと同時に一気に開花し、一人で演奏しているようには思えないテクニカルなドラム演奏は「十手観音(千手観音をもじって)」と呼ばれるように。
多くの若者が彼のドラムテクニックに熱狂し、カシオペアはバンドとして、1980年代に国内外から高い評価を受けていました。
しかしその後、1990年にカシオペアを脱退。
バンドユニット「ジンサク」の結成・解消を経て、1998年からはソロのドラムアーティストとして活動をはじめます。
現在も活躍の幅を広げており、ライブツアーや講演会などで海外を駆け回っています。
日本の有名なドラマー【神保彰】の功績
日本の有名ドラマーの1人となった神保彰の功績は以下の通りです。
①2007年、日本版・ニューズウィーク誌上で発表された「世界で尊敬される日本人100人」に、神保彰が選出。
この特集にドラマーの名が掲載されることはあまりなく、当時とても話題に。改めて、ドラマー・神保彰の凄さが世間に知れた瞬間でもありました。
選出理由は『1980年のプロデビュー以来、四半世紀以上に渡り音楽シーンの最先端を走り続けるトップドラマーであるから』というものでした。
②「全米打楽器協会コンベンション PASIC2009」に参加し、コンベンション史上最大の観客動員数記録を樹立しています。
当時すでに世界で話題になっていた「ワンマンオーケストラ」という、彼独自の演奏スタイルを披露。
その唯一無二の演奏スタイルに多くの人が魅了され、日本を越えて海外でも彼の才能が認められました。
日本の有名なドラマー【その2.樋口宗孝】
日本の音楽業界において”伝説”と称される有名ドラマー2人目は、樋口宗孝です。
1958年12月24日生まれの樋口宗孝は、1977年にアイドルバンド「レイジー」のドラム担当として芸能界デビュー。
1981年にレイジーが解散すると、同じくレイジーでギタリストとして活躍していた「高崎晃」と共に「LOUDNESS」を結成します。
LOUDNESSでドラマーとして活躍しながらも、ヘヴィメタルバンド「BLIZARD」のアルバムをプロデュースするなど、音楽プロデューサーとしても才能を発揮。
90年代からは、活動の幅を一気に広げていきます。
しかし1994年にLOUDNESSを脱退、バンド仲間であった「二井原実」と「SLY」を結成します。
4年後の1998年にはレイジーを電撃再結成させ、それ以降は多くの仲間とバンドを結成し、複数のバンドを掛け持ち活動していました。
2008年4月に肝細胞癌を公表、治療に専念するために活動を一時中止していましたが、同年11月30日に死去。49歳という若さでした。
「レッド・ツェッペリンのジョン・ボーナム」に憧れていた彼は、生涯に渡りシングルバスにこだわり続けることに。
2バスのニュアンスを表現する際も2バスは使用せず、巧みなフロムタム使いでバスドラム1つのみの演奏をこなしていました。
この徹底したこだわりの強さは、彼が亡くなったあと、現在もなお多くの人の心を掴んでいます。
日本の有名なドラマー【樋口宗孝】の功績
日本の有名ドラマー・樋口宗孝の功績は以下の通りです。
①「LOUDNESS」ドラム担当の樋口宗孝には、デビュー当時から熱狂的なファンが大勢いました。
そのため、ドラム専門誌『リズム&ドラム・マガジン』で彼の特集を組む度、その号の販売部数が過去最高を記録。これほど記録を更新した人物は、現在に至るまで彼以外にいません。
②アメリカの老舗ドラムヘッドメーカー「アクエリアン」とスティックメーカー「イーストンアヘッド」から、「樋口宗孝モデル」がそれぞれ販売されていた。
現在は製造終了しているため、ファンの間では樋口宗孝モデルは幻のアイテムと呼ばれている。
日本の有名なドラマー【その3.YOSHIKI】
日本の音楽業界において”伝説”と称される有名ドラマー3人目は、YOSHIKIです。
1965年11月20日生まれのYOSHIKIは、現在53歳。
1989年にメジャーデビューし、カルト的な人気を集めた伝説のヴィジュアル系ロックバンド「X JAPAN」のドラムを担当。またバンドのリーダーも務めています。
4歳のころにピアノを買い与えられてから、ピアノ教室でクラシックピアノのレッスンを開始。
9歳からはピアノで自ら作曲をはじめるように。幼いころから、その才能を発揮していました。
11歳の時にアメリカのロックバンド「KISS」の来日ライブ公演を観たことで、ドラムも始めます。
1982年にそれまで組んでいたバンドの「NOISE」を解散し、ボーカルに転向した「Toshi」と共に「X JAPAN」の前身である「X」を結成。
1985年にはファーストシングル「I’LL KILL YOU」を発売しています。
メジャーデビューを果たしたのは1989年。
Xの2枚目のアルバム『BLUE BLOOD』でCBSソニーからデビューし、日本有線大賞の最優秀新人賞や、第4回日本ゴールドディスク大賞の最優秀新人賞などのその年の音楽賞を総ナメにしています。
しかし1997年にToshlが脱退、それに伴いX JAPANを解散。
表舞台から姿を消しますが、1999年に「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」で奉祝曲を担当したことが再起の契機となり、以降、現在までソロでの活動を続けています。
日本の有名なドラマー【YOSHIKI】の功績
日本の有名ドラマー・YOSHIKIの功績は以下の通りです。
①「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」で奉祝曲を担当。
1999年11月に開催された、第125代天皇明仁の即位10周年の祝典行事の際に、奉祝曲「Anniversary」を披露。
指揮・川本統脩、ピアノ・YOSHIKIによって演奏されたこの曲は、作曲をYOSHIKIが担当しています。
8分弱のこの曲には『決していいことばかりじゃなかった10年間、悲しい事もあり、苦しい事もあり、楽しい事もあり、暗い事があっても明るくなって、一番最後は明るい未来に向かっていく』という想いが込められており、聴衆の感動を呼びました。
この功績が称えられ、YOSHIKIは翌2000年の『春の園遊会』に招待されています。
②バンドメンバーとしては初の「文部科学大臣賞」を受賞。
日本国内において様々な分野で活躍した人に贈られる「文部科学大臣賞」を、2000年にYOSHIKI個人として受賞しました。
これはバンドメンバーとしては初めてのことで、当時大きな話題を呼びました。
③2005年に『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソングを担当。
④2012年にゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソングを担当。
日本の有名ドラマーたちはすごかった
日本の有名なドラマーと、その功績をご紹介してきましたがいかがでしたか?
今も昔も、多くのバンドやドラマーが活躍している日本。
これからも偉業を遺してくれる、世界的なドラマーが続々と現れてくれることを楽しみにしていましょう。